暇なので ~生ける屍にならない為に~

タイトル通り。アニメとかゲームとか、日々感じた事を取り留めなく吐き出すブログ。よろしく。

左翼は今では無く、未来を見る。現実では無く、理想を見る。ただし自分の尻に火が付くまでは。

世の中が保守化したのは、左翼知識人が一般人への啓蒙を怠り、大学を始めとしたコミニティに閉じ困った事が原因らしい。それがネトウヨ増加の背景なのだと。そんな考え方もあるのかと、逆に関心してしまった。冷笑交じりで。扇動され辛くなったとは社会の変化であって、本人の資質というわけでも無いのに、それでも認めるのは恥ずかしい事なのだろうか。些か矮小に思える。


一部の知識層で共有されていた様々な情報が、インフラが確立することで、一般人にも浸透した事が要因と思われる。多様な情報は視界を広げ、選択肢を増やす。勿論狭める効果もあるが、最初から狭い人にとってプラスでしかない。その結果、高承な理想よりも即物で実益のある現実に選択が集まるのも当然でして。というか左翼知識人こそ、一度当事者になれば、そのインテリジェンスを駆使して速攻で現実を選択する。一般人も同じ事をしてるだけ。知識層や指導層だけに許されると考える、如何にもな左翼には許容し辛いのかもしれない。


左翼知識人は馬鹿では無いので、当然多くは、これまでのような扇動の不毛さに気付いている。新たな手法や可能性を模索する人もいる。しかしそれでも必死に前時代的な扇動を続ける人達は、不幸にも仕事に定義してしまった人達だろう。生活の為なら止む無しで、例えピエロだろうとも、泥水を啜って生きるようとも、己の嘘を許容する自分を無視し続けるのだ。大言壮語で矮小な存在を見事に体現する哀しき末路か。他の生き方を知らないという不器用な姿は、しかしこの場合は全然カッコ良くないのが辛い。寧ろ醜悪で手に負えないモンスターと化す。


自然と存在するモノは、平等に淘汰を潜り抜けただけに、相対的に強い。因果に捕らわれず選択され続ける、それが今の現実だ。逆に理想とは未来の現実であり、淘汰も何も無く、不確かな存在だ。故に今に殴られると非情に脆く、そして哀しい事に殴り易い。情報インフラの確立で、幾らでも今が輸入可能な現在では、もはやリンチ状態と言ってもいい。凄惨だ。知恵の実を食べた者は、盲目な羊ではなくなったが、しかしそれが幸せに繋がるのか、より効率的で生き易い人生にはなるのかは分からない。逆走の可能性もある怖さ。

 

左翼はリンチに対抗する為に、伝統的な御家芸を発動する。それは暴力であり、権力であり、強制力は一般人から更なる反発を呼ぶが、しかしそんな事は関係無しに、蠅を潰すが如く、左翼は発狂して気持ち良く暴れるのだ。矮小さは加速して、更に非難され、そしてまた暴れるを繰り返し続ける。暴力の効果は劇的だが順応も早く、直ぐに効果が無くなるから、暴力の種類を変え続けるしか無い。手持ちのカードを切り続けるそれは、人格の切り売りに思える。本当に、そんなモノにまで縋って振り回すのか?という驚きと、効果の無い醜態を晒し続けるしか無い状態に、憐れみで胸が一杯になる。

コミニティに閉じこもるのは必然で、これはリンチを防ぐというよりも、暴力が効き易いからに他ならない。大学などは最たるもので、正に権威の力が殊更強い。当然コミニティは形骸化していくだろう。後の世代に産廃を残す事にもなる。でもそこは左翼らしく気にせず、当事者には影響が無いから自浄作用なぞ無い。これは左翼の特性に完全に一致した結果なのだ。

 

左翼知識人は啓蒙を怠っていないし、閉じ籠るのも自衛手段なので、正直殆ど悪く無い。未来よりも今が強い現在では、左翼が弱者で淘汰されているという事だね。しょうがないね。それがマズイと言うなら変えるしか無いが、きっとその方法はもっと迂遠な、そして自然な手段に頼らざる負えないのではと思ったりする。全然関係の無いアプローチから、結果として未来を選択するよう影響を与えるとか何とか。例えばアートとか。分からんけど。特異点に向けて祈りを捧げるのもアリ。


ヤレヤレだね~