暇なので ~生ける屍にならない為に~

タイトル通り。アニメとかゲームとか、日々感じた事を取り留めなく吐き出すブログ。よろしく。

怒りの伝播は人生の損失である。自我を持って対抗せよ。

先日、以下のやり取りを目にした。

A「死体撃ちするヤツはゲーム外で叩け。一番効果あるよ。」
B「いやゲーム内で対応しなよ。違反してるなら運営報告でもいいし。」
C「ゲーム外で叩くとか負けだろ。てか普通に犯罪になるかも。」
A「死体撃ちするヤツはやり返されるのも本望なんだろ。だからゲーム外で攻撃されても文句言えないだろ。負けとか全然意味分かんね。」
C「ヤバイねお前。」
B「分からないなら何もしないでくれ。分かるまでオフラインな。」
A「BC死体撃ち野郎マジキモイ。オンに来んな〇ね。」

おおよそこんな感じ。戦慄だよ。むかーし友人が、ネットは大人の遊びと言ってたけど、やっぱり真理だよなと。

 
 
対戦ゲームにおける挑発行為、特に死体撃ちを気にする人は多いね。理由は簡単で、死体撃ちに癇癪を起す人が多いからだと思う。そういうキーボードクラッシャー予備軍みたいな奴らへの忌避感から、結果的に気にしてるだけで、まぁ癇癪な人はそれで満足かもだけど、かなり残念な話だと思ってる。もしからしたら上のAみたいに、この怒りは正しい憤りだ!叫んでも問題無い癇癪なんだ!皆の為なんだ!否定するヤツは異常者で叩いていいんだ!とまで思ってるかも。この脳内論法からは犯罪者の精神を見てしまう。ずばりサイコパスだと。


僕は死体撃ちを全く気にしない。自分からすることも無いが、敢えてするにしても、恐らく空中を撃って勝利を満喫する程度と変わらない感覚だと思う。寧ろ死体撃ちを気にしてヒステリックに主張し続ける人達の方が、厄介で嫌悪に近い。ハッキリ言って関わりたく無い人柄だなと思うね。


死体撃ちに癇癪を起す人達は、恐らく自分達が何に怒っているのかも分からないのではないか、と思う。数多の挑発の中で、強力な言葉による具体的な侮辱よりも、更に強く感情に響いてしまうのは何故か、是非一度考えて貰いたい。不毛で愚かな理由しか出てこないと思うから。


何故そう思うのか?これまた理由は簡単で、過去に似たような事を喚いていた人達がいたからに他ならない。例えば今でも「芋」を叩く人がいる。要は待ち伏せの類だが、ゲーム上では問題無くとも、ただ自分のプレイスタイルに合わないというだけで罵詈雑言の対象になるのだ。芋を叩く人も相手が逸脱した行為していないと理解しているから、当然システムから排除することは出来ないし、管理側に報告する事も出来ない。それでも文句を付けたいから、自分の鬱憤を晴らしたいからと、プレイヤー本人に当たるというわけで。僕は不快になった被害者だからやり返していいんだと、ゲーム外で粘着闇討ちを正当化までする。矮小過ぎて哀しくなるね。そしてこの矮小な事案は沢山あって、芋どころか、ゲーム毎にローカルルールとして勝手に整備されるのだ。限定されたコミニティなら分かるけど、大概そういう類の人は無関係な場所の無関係な人にまで強要する。死体撃ちのように。このアイテムは駄目だ、あの戦い方は駄目だ、それはマナーがなってないので上に報告する(上ってナンだよ?)などなど。本当に醜い。


死体撃ちの気持ちが分からないと主張して、何処か道徳的な側面で非難を始める輩に、銃を撃ちあってヘッドショット狙うゲームで何言ってるんだと冷笑される場合があるが、これは完全に検討違いなのだ。非難に意味なぞ無い。先手を取っても撃ち負けた際に起こす癇癪、叫び、妄言に論理的な思考は無いのと一緒で。きっと死体撃ちを問題視する発端だって、キーボードクラッシュの延長線上だよ。間違い無いね。語尾にキモイを付ける程度のものだ。本当に無意味で不毛。


そんなくだらない怒りの伝播に感化されて、一緒にヒステリックになっている人は、自業自得ではあるけども、ある意味被害者で、とても哀れに見える。今一度冷静に、胸に手を当てて考えて欲しいね。何でこんな事にイライラしてるのかと。ゲーム関係無しに、人生の損失なのだ。
 
 
いつの日かAが負けの意味を理解する事を願う。誰かを傷つけて前に。ブタ箱に放り込まれる前に。
 

左翼は今では無く、未来を見る。現実では無く、理想を見る。ただし自分の尻に火が付くまでは。

世の中が保守化したのは、左翼知識人が一般人への啓蒙を怠り、大学を始めとしたコミニティに閉じ困った事が原因らしい。それがネトウヨ増加の背景なのだと。そんな考え方もあるのかと、逆に関心してしまった。冷笑交じりで。扇動され辛くなったとは社会の変化であって、本人の資質というわけでも無いのに、それでも認めるのは恥ずかしい事なのだろうか。些か矮小に思える。


一部の知識層で共有されていた様々な情報が、インフラが確立することで、一般人にも浸透した事が要因と思われる。多様な情報は視界を広げ、選択肢を増やす。勿論狭める効果もあるが、最初から狭い人にとってプラスでしかない。その結果、高承な理想よりも即物で実益のある現実に選択が集まるのも当然でして。というか左翼知識人こそ、一度当事者になれば、そのインテリジェンスを駆使して速攻で現実を選択する。一般人も同じ事をしてるだけ。知識層や指導層だけに許されると考える、如何にもな左翼には許容し辛いのかもしれない。


左翼知識人は馬鹿では無いので、当然多くは、これまでのような扇動の不毛さに気付いている。新たな手法や可能性を模索する人もいる。しかしそれでも必死に前時代的な扇動を続ける人達は、不幸にも仕事に定義してしまった人達だろう。生活の為なら止む無しで、例えピエロだろうとも、泥水を啜って生きるようとも、己の嘘を許容する自分を無視し続けるのだ。大言壮語で矮小な存在を見事に体現する哀しき末路か。他の生き方を知らないという不器用な姿は、しかしこの場合は全然カッコ良くないのが辛い。寧ろ醜悪で手に負えないモンスターと化す。


自然と存在するモノは、平等に淘汰を潜り抜けただけに、相対的に強い。因果に捕らわれず選択され続ける、それが今の現実だ。逆に理想とは未来の現実であり、淘汰も何も無く、不確かな存在だ。故に今に殴られると非情に脆く、そして哀しい事に殴り易い。情報インフラの確立で、幾らでも今が輸入可能な現在では、もはやリンチ状態と言ってもいい。凄惨だ。知恵の実を食べた者は、盲目な羊ではなくなったが、しかしそれが幸せに繋がるのか、より効率的で生き易い人生にはなるのかは分からない。逆走の可能性もある怖さ。

 

左翼はリンチに対抗する為に、伝統的な御家芸を発動する。それは暴力であり、権力であり、強制力は一般人から更なる反発を呼ぶが、しかしそんな事は関係無しに、蠅を潰すが如く、左翼は発狂して気持ち良く暴れるのだ。矮小さは加速して、更に非難され、そしてまた暴れるを繰り返し続ける。暴力の効果は劇的だが順応も早く、直ぐに効果が無くなるから、暴力の種類を変え続けるしか無い。手持ちのカードを切り続けるそれは、人格の切り売りに思える。本当に、そんなモノにまで縋って振り回すのか?という驚きと、効果の無い醜態を晒し続けるしか無い状態に、憐れみで胸が一杯になる。

コミニティに閉じこもるのは必然で、これはリンチを防ぐというよりも、暴力が効き易いからに他ならない。大学などは最たるもので、正に権威の力が殊更強い。当然コミニティは形骸化していくだろう。後の世代に産廃を残す事にもなる。でもそこは左翼らしく気にせず、当事者には影響が無いから自浄作用なぞ無い。これは左翼の特性に完全に一致した結果なのだ。

 

左翼知識人は啓蒙を怠っていないし、閉じ籠るのも自衛手段なので、正直殆ど悪く無い。未来よりも今が強い現在では、左翼が弱者で淘汰されているという事だね。しょうがないね。それがマズイと言うなら変えるしか無いが、きっとその方法はもっと迂遠な、そして自然な手段に頼らざる負えないのではと思ったりする。全然関係の無いアプローチから、結果として未来を選択するよう影響を与えるとか何とか。例えばアートとか。分からんけど。特異点に向けて祈りを捧げるのもアリ。


ヤレヤレだね~

 

区別と差別の違いは明確でも、嫌いと差別は同じにしか思えない件

人は誰しも相対的に何かを嫌悪している。無意識にでも物事に順位付けをし、取捨選択を効率的に行う。それが自然な処世術ね。矯正すると逆に歪んで、極端な話、感情を殺すしかない。でも文明社会を生きるには相手への配慮は必須なのでした。嫌悪を表に出さない我慢が必要で、例えストレスでも抑制する努力はしましょう。感情を殺す事と抑える事にどれだけの違いがあるのか謎だけどね。各々の精神容量には差があるし、各自で線引きして上手に自分を運用するしかない。何れにしても感情を消すのでなく制御するのが肝要。

 

ただ最近の神経質なまでの差別忌避は、各自の精神容量を無視した思想矯正に思えるのだけど。パチンと切れたら雪崩式に嫌悪が進みそう。てかもう成ってる?ツンツンして何にでも噛みつく面倒なフェミと同じく、もはや黒人に関わりたくない状態でしょ。今は配慮して無視な程度でも、実害出れば嫌悪に転じるのも直ぐだし。嫌悪から差別に繋がるのも自然。そしてそれを力で矯正する怖い人達が現れるのが、最近の潮流なのでしょ?敬虔な信徒のように正義と信じて何でもヤレる怖い奴等と思いきや、そうでも無いのが皮肉で。そんな崇高でも無いから更に質が悪いよ、単にポリコレ棒だし。可笑しくね?って発言したら炎上や村八分で、失職なのは感慨深いね。スターリン共産党で人事権を掌握した時の無敵感を連想した。

 

僕は各自の精神容量によって感情抑制の線引きをするべきだとは思うのだけど、しかし現実の集団社会では規律という共通の線引きが必要なのも分かる。残念だけど力ある者が、アレは駄目でコレは良い、と決めた基準に納得するしかない。現状だと人種民族が分かり易い。何でその線なのと考えれば、まぁ過去の歴史とか色々あるのかもだけど、線引き変更を妄想する事は多々あるわけで。例えばハゲ差別とかどうよ?(笑)酷いね!誹謗中傷としてシベリア送りだ。デブもヤバイね。ブスも危険だ。そもそも生理的に無理って言葉あるけど、あれ完全に差別じゃね?理由からして漠然とし過ぎじゃんよ(笑)でも現状許されてる表現であるような。黒人は生理的に無理は駄目でも、ハゲは生理的に無理はOKななのが今の世界よハハ。

 

あ~、くだらねぇ…。保守化は残当

 

エモーショナルエクスタシーというパワーワード。単にヒステリーだけど。

グランベルムの次回予告で話題となったコレ、いや最高でしょ。何という的を得た表現、もはや変顔に対する最適解だわ。女性のヒステリーには辟易するけど、感情的な放出で気分転嫁していると思えば、意外と受け入れられちゃうような。ああ叫びたいのかな、土手を突っ走りたいのかな、サンドバック殴りたいのかな、っとこんなジャンルに落とす事で寛容に解釈出来るのだ。無いかな?寧ろ女性らしいと好意的に思えなくもない。ただ本作の最後だけは微妙だったかな~。ヒステリーで己を主張する女性の最後が究極の献身で終わるというアレね。いやアンタ達もっと身勝手に自分中心でしょうに、だからこそエモーショナルエクスタシーなんしょうが。どういう事やねんと。ここにきてご都合だなと。ヒス女のパワーを、いい意味の図々しさを舐めてるなとね。


最近だとヒステリックに環境問題を叫んだ例の少女だけど、まぁあれは前提として中身ゼロの内容を身代わりに叫ばせてるだけなわけだが、要はああいう素養を持つのが一般的な女性なのかなと思うわけね。善悪で測り忌避するのでない、性質を理解して接するということ。男で言えば例えば軍隊とか、ストレスのある集団があれば必然的に婦女暴行が起きるように。勿論それは悪い事で是正するべきことなんだけど、それとは別に軍隊だから駄目なんだと思考停止するのは違うと思うのよね。男集団の性質と同様、女性のエモーショナルエクスタシーなる気質への理解は、悪行・悪癖と切って捨てるには早計過ぎるなと。漠然と思ったり。


まぁ心に余裕があるからだな。イラっとしてたら速攻で逃げる。だからこういう寛容論押し付ける人って苦手。単に考え方を捨て置いてくれてるぐらいが程良く、多分世の中的にも正しいと思うね。

エロとライザとソシャゲ

僕はゲームは好きだけどソシャゲには手を出していない。何度か友達絡みで落としたりしてみた事はあるけど、その場限りで継続プレイは無いんだよね。正直内容は予想通りではあるけど絵は可愛いしエロいしグッとくるよ、でもゲーム性の無さが苦痛で敢えてゲームでやる必要無いという結論で終わっちゃうのよね。絵なら幾らでも他にあるし、簡単なのも大きい。なので僕がソシャゲを続けるには、これとは別の動機が必要になる。


ソシャゲはハクスラの部類だと思ってる。繰り返しの単純作業から、コミュニティ内で価値があるとされるモノを見出し、意識を共有することで達成感や優越感に浸るという。ソシャゲも外の人からしたら、ソレ何なの?楽しいの?はぁ?みたいな感覚じゃないかとね。唯一の違いは、ハクスラの場合はある程度のゲーム性を追求する必要があり、繰り返し中でストレスフリーな操作性や爽快感ある演出を重視している。ソシャゲには無い、もしくは弱い。手を抜いてるわけじゃなくて、単に作業を継続させる要因が別にあるってだけよね。つまりエロ。ゲーム性を考えるよりも効率的で賢い。

 

エロの原動力を軽視する事は無くも、エロを万能として扱う傾向には同意出来ない。あくまでエロは補助であって、メインにするには役不足だ。新規ソシャゲが早々に潰れる場合など、開幕ブーストという見えない動機をエロで補助していたが、後にエロしか残らず墜落したという形かなと。ではエロとゲーム性の両立、融合はどうか?不思議と思い浮かばない。エロがゲーム性を殺す事があるのだろうか、優れたゲーム性がエロへの没頭を妨げるだろうか。分からないけど感覚的な所見を言えば、これは魅力と言えばいいのだろうか、ゲームを楽しむ動機には総量的なモノがあると思える。それを作品内でバランス良く分け合っているのだと。例えば最近ならニーアオートマタとか、高度なバランスを保っていると思う。完全にヴィジュアル特化で、エロとゲーム性を追求してるような。その分ストーリは雰囲気以上のモノがないけど、一転突破で無駄を無くした配分だからこその強さは否定出来ない。てか商業的な成功は肯定しかない。

 

先日アトリエシリーズの新作を見たよ、発売したばかりのライザね。実況でゲーム画面を見ただけど、偉い煽情的で笑ってしまった。いや凄いね、弾けんばかりだ。数分見た限りではゲーム性は感じなかったね、端的に言えば詰まらなそうだった。とにかくエロだった。エロしか見えなかった。分からんけど、これ全年齢なのか?親が見たら吃驚しそうだ。逆に一見の価値ありなレベル。そんな笑いと同時に今回ぐだぐだ述べた事を思ったわけさ、ああ絵で十分かなとね。

 

求人難が質の低下を招くならば、求職難は次の段階へ進む機会なのか。

20年位前の就職氷河期、非正規やフリーターを大量生産した暗黒時代があったじゃない?まぁ今もそうかもだけど、とにかく当時の公務員は今以上に羨望の眼差しで、その安定感には後光が差してたわけよ。恐らく驚異の倍率でさ、その世代は他より浮いたハイスペック揃いだったと思う。ぶっちゃけ逆の層となるバブル時代の採用者とっては、ある意味で格差職場になってたかなと。経験した事ないけど、恐らく50代公務員と30代公務員ではサービスの質に開きがあると思う。つまり彼等が管理職として組織を運営する段階になれば、組織としてもハイスペックになるんじゃないかな~っと思うのね。求職難は辛いものだけど社会システムが向上するという意味では救いかもしれん。

 

自分ほっ〇もっ〇のヘビーユーザーだったのよ。予約しまくりで余裕のゴールドランカー。専用の電子マネーやポイントもザクザクで、効率も結構良かった。でも過去形。去年までかな。今じゃ寧ろ関わりたくない企業になってる。抜本的にシステムが変わったわけじゃないのに、些細な事から大きな事まで、とにかく不快な出来事が続いたせいで足が遠のいちゃった。ぶっちゃけ残念だよ。もはやここでしか使えない電子マネーやポイントが邪魔な楔で、如何にして早く有効に消費出来るかと考えちゃうレベル。流石に万単位の金を捨てるのは面白くなく、かといって使用したくないサービスというジレンマ。まぁ貧乏性かもね、店員の態度や弁当の質を思うと溜息しかないけど。そこでふと思うのさ、今って求人難なんだな~と。

 

ネット検索で店舗縮小や人件費削減など色々見れるけど、やっぱりあったね人材不足の記事がさ。そりゃ質下げないと揃えられないか、今って失業率低いしね。あ~、売り手市場は嬉しいけど、こういう問題にぶつかると中々悩ましいわ。
 

資格と証明とは、つまり美人とブスである。

同僚との雑談で女性専用車両が話題になったのだけど、まぁ男性目線だと結構否定的な意見もあるじゃない?でも皆一様に賛成だったわけさ。別に空気読むような輩で無い、正直な空気でこれだったのよ。何だか意外な印象が残ったのね。彼等曰く、美人なら許せるし優遇する側すら気持ちよくなるから問題無いとのこと。なのでブスは論外であり、問題は車両の運用では無く、乗客の質だと。いや偉い納得してしまったね、確かに美人なら気持ちがいい。美人は優遇されるべき有資格者といっても過言ではない。

僕は女性専用車両に賛成だよ。反対の意見も分かるし、勘違いブスだけでなく社会悪な馬鹿を助長する制度だとも思ってる。でも賛成。何故か?自分の考えはこうだ。

共用車両に不満を述べる女性は、要は男性乗客に不信感を持っており、ありていに言えば排除したい対象なのだ。(イケメンは分からんけど)知らない男を目の前から消して欲しい、近寄らせないで、ここは私の指定席よと主張したいのだ。当人の過去に何があるかは分からない。何かの精神疾患もありえる。でもそんなの関係無しに、こんな扱いを受ける男性からしたら不快に感じるのは自明なんだよね。そして多くがそうするように、特に諍い無く、離れていくだけ。一瞥して距離を取るのは知的障害者を腫れ物として扱うような冷たさに近いけど、効率的で平和的な解決手段だとポジティブにも考えられる。そしてこの対応の受け皿として件の車両がある。つまり女性にとっては避難先、男性にとっては隔離先として機能してると思うのね。これってウィンウィンでしょ?男性からしたら隔離されて満足する女性が、些か滑稽かもしれないけど、でも本人等は満足してるわけで。幸せな人を不幸だと決めつける事の方が滑稽だとも思うわ。だから女性専用車両に賛成なんよ。

僕の基準では女性専用車両の運用に美醜は関係しない。女性の証明が出来ればそれでいいのだ。ポリコレ的にも支持されるはず。多分。でも同時に、より強い不満の声が女性と証明出来る類の者から聞こえて来そうなのは何故なのか。解せぬ。鉄道会社が、本来乗客の善意で成り立つ優先車両にも関わらず、専用専用とピントのズレた紹介をする理由が分かったような気がした。