暇なので ~生ける屍にならない為に~

タイトル通り。アニメとかゲームとか、日々感じた事を取り留めなく吐き出すブログ。よろしく。

エロとライザとソシャゲ

僕はゲームは好きだけどソシャゲには手を出していない。何度か友達絡みで落としたりしてみた事はあるけど、その場限りで継続プレイは無いんだよね。正直内容は予想通りではあるけど絵は可愛いしエロいしグッとくるよ、でもゲーム性の無さが苦痛で敢えてゲームでやる必要無いという結論で終わっちゃうのよね。絵なら幾らでも他にあるし、簡単なのも大きい。なので僕がソシャゲを続けるには、これとは別の動機が必要になる。


ソシャゲはハクスラの部類だと思ってる。繰り返しの単純作業から、コミュニティ内で価値があるとされるモノを見出し、意識を共有することで達成感や優越感に浸るという。ソシャゲも外の人からしたら、ソレ何なの?楽しいの?はぁ?みたいな感覚じゃないかとね。唯一の違いは、ハクスラの場合はある程度のゲーム性を追求する必要があり、繰り返し中でストレスフリーな操作性や爽快感ある演出を重視している。ソシャゲには無い、もしくは弱い。手を抜いてるわけじゃなくて、単に作業を継続させる要因が別にあるってだけよね。つまりエロ。ゲーム性を考えるよりも効率的で賢い。

 

エロの原動力を軽視する事は無くも、エロを万能として扱う傾向には同意出来ない。あくまでエロは補助であって、メインにするには役不足だ。新規ソシャゲが早々に潰れる場合など、開幕ブーストという見えない動機をエロで補助していたが、後にエロしか残らず墜落したという形かなと。ではエロとゲーム性の両立、融合はどうか?不思議と思い浮かばない。エロがゲーム性を殺す事があるのだろうか、優れたゲーム性がエロへの没頭を妨げるだろうか。分からないけど感覚的な所見を言えば、これは魅力と言えばいいのだろうか、ゲームを楽しむ動機には総量的なモノがあると思える。それを作品内でバランス良く分け合っているのだと。例えば最近ならニーアオートマタとか、高度なバランスを保っていると思う。完全にヴィジュアル特化で、エロとゲーム性を追求してるような。その分ストーリは雰囲気以上のモノがないけど、一転突破で無駄を無くした配分だからこその強さは否定出来ない。てか商業的な成功は肯定しかない。

 

先日アトリエシリーズの新作を見たよ、発売したばかりのライザね。実況でゲーム画面を見ただけど、偉い煽情的で笑ってしまった。いや凄いね、弾けんばかりだ。数分見た限りではゲーム性は感じなかったね、端的に言えば詰まらなそうだった。とにかくエロだった。エロしか見えなかった。分からんけど、これ全年齢なのか?親が見たら吃驚しそうだ。逆に一見の価値ありなレベル。そんな笑いと同時に今回ぐだぐだ述べた事を思ったわけさ、ああ絵で十分かなとね。